音楽は共有することで楽しさが生まれる


どうも、モデです。音楽を作っている時や完成した瞬間、良いプレイができたと感じた時はとても楽しいものです。しかしその先を見据えて楽しいと感じていることがほとんどです。あくまで私の主観ですし、作曲や練習だけで自己完結し誰にも聴かせないという方もいるかもしれません。あまり真に受けないようお願いいたします。

 

共有を楽しむ

人間は大多数が音楽を通した一体感に快感を覚えます。よほどのアンチでなければほぼ無意識に共有を楽しんでいるはずです。

そしてプレイヤーやコンポーザー視点で言えば、自分の演奏や楽曲を誰かに聴いてもらい、自分が良いと信じて作ったものを理解して欲しいと感じています。ネット上に演奏や楽曲をアップロードしているのであれば間違いありません。

これは自分の感性、あるいは感情を共有したいのです。誰からも反応がなければ楽しさは減る一方、「良かった」と声をかけられれば楽しさを強く感じます。楽しさを感じれば、また次の作品を作りたくなります。このサイクルが楽しいの正体です。

(中には自己顕示欲の塊だと言う方もいらっしゃるでしょうが、制作側なんてこんなものです。少なくとも私は誰にも認めてもらわなくていい人を見た事がありません。)

またジャムセッションや自分と似た感性を持った人と音楽について語り合うことも、共有を楽しんでいる状態と言えます。

 

間違った共有

例えどんなに自分が良い曲だと感じても、話し相手が同じ感性を持っているとは限りません。自分がかっこいいと思ったもは全人類がかっこいいと思っているわけではないのです。

友人に勧めて反応が芳しくなければ無理に押すのはやめた方が無難です。共有ではなく押し付けになってしまえば、楽しいのは一人だけです。好きな曲でも自分で作った楽曲でも同じです。

近い感性を持っていたとしても意見が食い違う時はあります。大抵の場合は自分とは違う視点からの意見で、新たな発見となり知識や視野を広げるチャンスです。決して悪い事ではありません。

しかし相手の感性や趣向を否定することは人格を否定することにも近い行為です。止めましょう。

 

共有のサイクルを生み出そう

共有のサイクルは一人では作り出し得ません。特に制作側の人間にとってはこの要素は大きいです。作って楽しむ・聴いて楽しむ、などの自己完結型の楽しみ方も大いにありだと思います。しかし、作ったものを誰かに理解してもらえたら、感動した曲を誰かが同じように感動していたら、その楽しさは何倍にもなります。

今はライブに行ったりCDを買ったりしなくとも、ネット上で簡単に反応を残す事ができます。ニコニコやyoutubeなどの動画サイトでコメント、ツイッターで良かった旨を呟く、呟かずとも宣伝ツイートをそっとRTするなど多様性があります。

良くないものに反応する必要は全くありませんし、純粋に良いと思った作品だけで構いません。良いと感じた作品にほんの少し反応するだけで共有のサイクルは生まれるのです。


誰かと何かを共有することは音楽に限らず楽しいものです。

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